皆さん、こんにちは!
東京事務所 スーパーバイザー 池田美帆子 と申します。
私は2018年1月、太陽監査法人が旧優成監査法人と合併する前に入所しました。短答式試験合格者として旧優成監査法人の東京事務所に入所し、論文式試験合格後の2019年春から実家の仙台に位置する東北事務所へ異動しました。
東北事務所に所属していた4年間のうち、2021年3~9月と2022年2~10月の間は、海外トレーニーとして、アメリカの『Grant Thornton LLP』(以下、GTUS)のロサンゼルスオフィスに派遣され、現地で監査・レビュー業務に携わりました。
その後、2023年4月に東京事務所へ戻り、現在は主に海外子会社を複数持つ上場企業の監査、グループ監査及びリファーラルにおいて、英語を使う業務を担当しています。
今日は、私の海外トレーニー経験を皆さんにお伝えします!
海外トレーニー制度について
太陽には、海外トレーニー制度というものがあります。
GTUSに半年間(現地の状況によって期間が若干変わります)ずつ、計2回にわたって派遣され、アメリカの大都市で生活しながら、日系企業の米国子会社の監査・レビュー業務の経験を積むことができるという、非常に魅力的な制度です。
この海外トレーニー制度は、実はまだ歴史が浅く、これまでアメリカに派遣されたトレーニー数は、まだ5本の指で数えるくらいです。計2回のトレーニーを完走したのは、私が初でした!
「アメリカで監査なんて敷居が高そう…」と思うかもしれませんが、私自身もそうでした。
私がトレーニー募集の告知を見たのは、修了考査の勉強をしていた2021年の夏で、新型コロナウイルス感染症が大流行の真下でした。トレーニーの派遣予定時期が修了考査に受かって会計士登録が済んでいる頃かなという時期だったので、募集告知を見た瞬間「これは行くべき!」と思いました。
(後述しますが、修了考査には無事合格することができました)
トレーニー挑戦に対する葛藤
それまでは東北で地元企業の監査をしており、国際業務に殆ど関わったことがない私でした。20代の頃は、外国語の勉強に夢中になり、韓国やベトナムに長期滞在した経験がありましたが、かといって英語が流暢というわけでもありませんでした。
なぜトレーニーに選抜されたのか?不思議に思われるかもしれませんが、長期滞在を経て、海外で生きることの辛さを分かっていることが強みだったのかなと思います。
また、私には子供がいます。その中でトレーニー制度に手を挙げることは、一見チャレンジングなことかとは思いますが、当時は「子育て中のママがトレーニーに選抜されたら、今後は女性会計士を目指す皆さんに、勇気を与えられる!」という意欲にも満ち溢れていました。
もちろん、
そこには何も迷いがなく、トレーニーになることを決意したわけではありません。
このトレーニー制度は、家族帯同で行ける駐在とは異なり、単身渡米が条件です。
特にアメリカは、子供を守る法律が厳しく、小学生の子供を一人にしたら警察に通報されます。出張は飛行機が基本の国であり、自分一人で子供の面倒を見ながら仕事をするのは、相当のリスクがあります。
「子供がいるということで、諦めないといけないんだろうか…」そう思っていた時に、私の背中を押してくれたのは家族でした。当時、実は夫も海外に単身駐在中でしたので、小学校低学年だった娘を実家の両親に預けることとなり、私も単身渡米することになりました。
渡米までに準備したこと
本来の私の計画では、修了考査の合格後に英語とUSCPAの勉強をある程度してから、アメリカに渡ろうと思っていました。
しかし、2020年12月の修了考査が終わってすぐに「派遣時期が2月になったからビザの準備をするように」という指示がありました。
2ヵ月後と聞いて、戸惑ったのは30分くらいだったと思います。
修了考査の手応えがゼロであり、「来年の修了考査の時期がアメリカ滞在期間と被ったら、試験を受けられないな~」と結構落ち込んでいた時だったので、逆に「早めにアメリカへ行ければ、来年の修了考査までに帰国できるだろう!」と開き直ることができたのです。(笑)
コロナ禍ということで、ビザ取得のためにアメリカ大使館の面接を予約するのも一苦労。
しかも、赤坂にあるアメリカ大使館の面接を予約した日の数日前に、東北で大地震が起き、なんと東北新幹線が止まってしまいました。
東北新幹線の復帰見込みは数週間後。高速バスも満席で予約が取れない状態。
しかし、ここで諦めないのが東北魂!
東日本大震災時の教訓が体に染みついている私は、仙台から新潟まで高速バスで行き、そこから上越新幹線に乗って東京に行くルートを利用し、予定通り無事にアメリカ大使館の面接を受けることができました。
ビザ申請だけでもかなり忙しかったので、結局、渡米までの期間にできたことといえば、2019年から継続している法人内のオンライン英会話や、USCPAの受験資格を得るための学歴評価、及び一回だけIELTSを受験したことくらいでした。
こうして、1回目のトレーニー派遣の時は、英語環境に立ち向かう準備も中途半端なまま渡米することになりました。
トレーニー1回目(2021年3月~2021年9月)
さて、いよいよ1回目のトレーニーがスタート。
しかし、2021年3月はいうまでもなく、パンデミックの真っ只中。
アメリカは日本よりも状況がヒドく、LAもロックダウン中でした。
私は、Pasadena(パサデナ)というLA中心部から車で15分くらいの地域に住んでいました。アパート探しは現地のエージェントに任せていましたが、なかなか見つからず、LAに着いてから1ヵ月くらいはホテル暮らしから抜け出せませんでした。
GTUSのLAオフィスもずっと閉鎖されていたので、PCだけ受け取り、その後はリモートワークが続きました。せっかくアメリカに来たのに、完全に引きこもりの生活でした。
実際に住んでいたアパート
肝心の業務はと言いますと、
私の上司はアメリカに20年以上滞在している日本人の方だったので、仕事や生活面については日本語で相談することができ、安心しました。
英会話の上達にはなりませんが、初めてのアメリカ生活、かつ、パンデミックで誰とも会わない引きこもり生活の中では、英語の上達よりも、まず自分の精神状態を安定させることの方が重要でした。
英語が上手くならなくても、元気に半年間を乗り切ることが、もはや私の目標になっていたのです。
長期間のホテル生活の不便さ。パンデミックで誰とも会えない。そして、GTUSの監査ツールの使い方もよく分からない状況の中、
「日本に帰りたいな…」
早速ホームシックになっていました。そんな矢先、ちょうど修了考査の合格発表がありました。
『合格』の文字が、私が今後アメリカで踏ん張るパワーをくれたのです。
アメリカでは主に、日系企業の米国子会社の監査とレビューを担当しました。子会社は非上場の小規模なところが多く、経理の方が一人で監査対応をしている企業もありました。
アメリカ人の監査チームの中に放り込まれ、スタッフの一員として仕事をすることを想像していましたが、全く違いました。私が「インチャージ」となって主体的に動かないと、監査もレビューも進まない状況でした。
現場往査は全くなかったので、お客様とは、いつもTeamsでミーティングを行っていました。英語が流暢な上司に頼ってしまい、私はなかなか声を発せず、軽い自己紹介と「Hello」「Thank you」しか言えませんでした。
英語でのミーティング対応はイマイチだった半面、英語による文書化や英文メールは負担にならなくなり、ちょっと疑問に思ったこと、欲しい資料があるときなど、気軽にお客様とやり取りができるようにはなりました。
2021年春からは、アメリカで新型コロナウイルスのワクチンがどんどん受けられるようになり、私もドラッグストアでワクチンを受けました。アメリカ国内のコロナに関する規制も緩和されていき、店内飲食もできるようになり、ようやくアメリカ生活が本格的に始まったという気分でした。
2021年6月からは、LAオフィスにもようやく行けるようになりました。繁忙期も落ち着きだし、クローズしていたジムもオープン。リモートワークの疲れを癒すため、休日はよくジムに通っていました。
2021年当時のLAオフィス
(執務室・会議室)
また、国内旅行に関する規制も緩和され、7月のIndependence Dayには、私が大好きなピアニストGeorge Winstonのコンサートを観にLAから飛行機で約8時間かけてメイン州まで行ってきました。
当時、既にUSCPAの試験を現地で受け始めていましたが、2回受けて2回とも落ちてしまいました。
「元気に5カ月間を乗り切ったこと以外は、自慢できることがないなあ…」と残念がりながら、1回目のトレーニーを終了しました。
トレーニー2回目(2022年2月~2022年10月)
1回目のトレーニーを終えて日本に帰国すると、東北事務所は9月決算で忙しくなるので、しばらくは落ち着かない日々が続きました。
そしてあっという間に、2回目のトレーニー派遣の準備に入ります。1回目の反省を活かし、「次回はミーティングでお客様と積極的に話す」「USCPAに受かって帰国する」などの目標を立てました。
2回目の派遣前は、オミクロン株が大流行しはじめ、渡米が延期にならないか不安でした。1回目のトレーニー時は、72時間前のPCRでOKだったのが、今度は24時間前と厳しくなっていたので、出発当日に空港でPCRを受けて陰性証明を入手しなければなりませんでした。
渡米の1ヵ月前から、毎週PCRを受けて体調を細めにチェックし、出発当日は「よし本番だ!」という気持ちを持って、空港でPCRに臨みました。LAに着いたときは、半年ぶりの見慣れた景色に嬉しくなって、これから始まる2度目のLA生活に胸がワクワクしていました。
半年ぶりのパサデナ市庁舎
アパートは前回と同じところと決めていたので、家探しもかなりスムーズでした。引っ越し予定日に突然、オハイオへの出張が入ってしまい、入居日がズレましたが、今回はホテル生活も短く済み、前回住んでいた部屋の斜め向かいの部屋に入居することができました。
銀行口座やSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー)の取得は1回目のトレーニー時に済ませていたため、今回は面倒な手続もなく、すぐ生活に適応できました。
繁忙期は、前年度に担当したクライアントも何社か担当したので、1年前に一緒に仕事をしたお客様とまた仕事ができることが、とても嬉しかったです。
お客様も私に心を開いてくれているのが分かり、コミュニケーションが活発になって監査が前期よりもスムーズでした。ミーティングは回数を重ねていくにつれ、いつの間にかマネジャーが私に司会進行をさせるようになりました。私もミーティング前に質問内容を整理して英語の台本を準備するようになり、ミーティングに対する意識が大きく変化しました。
英語ミーティングは、事前に準備するのとしないのとでは、大きな差が出ます。台本を丸覚えでも、片言の英語でも、自分の伝えたいことが明確であれば、相手は理解してくれます。
資料を出すのが遅いお客様を担当したときは、毎週、同じ曜日、同じ時間にミーティングを設定し、しつこいくらいに「早く資料ちょうだい」とお願いしていました。日本だったら中々できないことも、アメリカでは気持ちが大きくなって可能になってしまうのが、面白いところですね!
また、
幸運なことに、2回目のトレーニー時には、アメリカ国内への出張機会が2回ありました。
最初は真冬のオハイオ州のシンシナティで、日系企業の子会社の往査に行きました。アメリカで初の現場往査。お客様が英語を話していること以外は、実は日本の往査とあんまり変わりません。
オハイオはLAより3時間早いため、国内出張なのに時差ボケに苦しみました。LAの夜中に仕事を開始する状況でしたので、日本での出張よりも倍は疲れました。
2度目の出張は、2022年9月にLAから近いサンノゼとサンフランシスコに行きました。
サンフランシスコは観光名所も多く、歩いて色んな所に行けます。チョコレートで有名な『ギラデリ』の工場があった場所なので、日本へのおみやげ用にと大量のチョコレートを抱え、出張から帰りました。
LAにいるメリットは、何といっても有名人に会える機会が沢山あることです。
滞在中に、エンゼルス時代の大谷選手、レイカーズの八村塁選手(当時は、まだワシントン・ウィザード所属)の試合を観に行くことができました。LAオフィスからドジャーススタジアムはそれほど遠くはないので、次にトレーニーに行かれる方は、仕事帰りにドジャースの大谷選手を見に行けるかもしれませんね!
また、Backstreet Boysというボーイズグループのコンサートにも行ってきました。ハリウッドにBackstreet Boysが来たときは見逃してしまったので、わざわざBackstreet Boysを観ることを目的に、はるばる飛行機でワシントン州のSpokane(スポケーン)という町まで飛びました。
本来2020年夏に開催予定であったコンサートがパンデミックで延期になり、2022年8月にようやく実現されました。スポケーン市民たちが一体どれだけ待ちわびていたか、コンサート会場の熱気から感じ取ることができました。
さらに、GTUSの本社があるシカゴにも行く機会がありました。セントパトリックデーのタイミングにシカゴの街に行ったのですが、ご覧のとおり、川が緑色でびっくりしました。
アメリカ生活で困ったこと
アメリカにいて一番困ったことは、「車の免許がない」ことでした。
アメリカで車がないと不便とは聞いていたものの、もともと日本の自動車の運転免許を持っていなかった私は「Uberや電車を使えばいいや」と軽く考えていました。
しかし、円安でUber料金も高騰。LAの電車も、朝ならまだしも夜はとにかく治安が悪く、気軽に乗れないものでした。休日にちょっと近場に行こうと思ったらUberを使うしか方法がないので、毎回、日本の新幹線に乗る料金くらいの交通費がかかってしまいました…。
東京や仙台では、車がなくても特に不便は感じていませんでしたが、アメリカでは自分の力でどこにも行けないということが、私にとって一番のストレスになりました。
スーパーでの買い物は、『Instacart』(ショッパーと呼ばれる方が、代わりに買い物をして玄関前に置いて行ってくれる便利なアプリ)を利用していたので、買い物ができず不便ということはありませんでした。でも、せっかくのアメリカ。自家用車でスーパーに行きたいですよね…。
「自動車の運転免許は一生とらないぞ」と心に決めていた私でしたが、アメリカで車のない不便さを経験したことで、日本に帰国後、迷わず運転免許を取得しました。
トレーニー経験をして何が変わったか?
皆さんが気にされるのは、
やはり『英語力』の変化だと思います。
私の場合、5カ月アメリカに滞在して一旦帰国し、その半年後に再度渡米し8カ月滞在というように、連続でアメリカに滞在していたわけではないので、なかなかビジネスレベルの英会話は身に付きませんでした。
特に、英語の聞き取りに苦労しました。
数年前にTOEICのリスニングで満点をとったことのある私も、現地の英語が聞き取れずキョトンとしてしまうことがしょっちゅうありました。英語ミーティングは録音しておかないとまともに議事録を作れないのは事実ですし、英語力は永遠の課題だと思います。
ただ、全く上達しなかったわけではなく、英語の読解力は、USCPAの勉強を続けていたおかげもあって飛躍的に向上したと思います。英語の資料が出てきても慌てなくなりましたし、会計・監査に関連する英文は、なじみの単語が繰り返されるので親しみがわくようになりました。
2回目のトレーニーから帰国して2ヵ月半後、ついにUSCPA全科目合格を達成することができました。
2回のトレーニーの任期を満了して終わりではなく、
- 今後、アメリカでの経験をどのように太陽の業務に活かしていけるか?
- 英語の業務をより効率よく進めるには、どうすればよいのか?
- 自分に足りないものは何か?
と、今は次の課題・目標探しをしているところです!
さいごに
トレーニーとして必要なこと
トレーニーに行く前に、
「USCPAを勉強していった方がいいか?」という質問を、よく受けます。
私の答えは、
「どちらでもよい」です。
いや、むしろ日本の監査をしっかり学ぶことを優先して欲しいと思います。
トレーニーといっても、実際に現地で行う仕事は、日本の監査法人のシニア・主査レベルであり、仕事内容は駐在員と大きな差はありません。
トレーニー前に「できるだけ国際業務をやっておかなきゃ」と焦るよりも、国内業務を一つ一つ丁寧にこなしていくことが、近い将来アメリカで武器になると思った方がよいです。
私がやっていたように、トレーニー期間中に仕事と並行してUSCPAを勉強しても、十分に間に合うと思います。私の場合、現地で実務を行いながら勉強していく方が頭に入りやすく、昨日勉強したことが今日の業務に活かせるということが、よくありました。
勉強を完璧にして試験に臨むのが不可能であるように、英語の準備を完璧にしてから渡米するのも不可能なので、英語を自分の満足するレベルまで引き上げてからトレーニーに挑戦しようと先延ばしにするのはやめましょう。
現状の英語力がどうであれ、挑戦したい気持ちがあれば、まず手を挙げてみることが大事です!
皆さんといつか、英語関連の業務でご一緒できることを、楽しみにしています!